教会はイイスス・ハリストス( Ιησούς Χριστός:イエス・キリスト)とその弟子たちによって1世紀にパレスチナで始まり、地中海を中心に発展していき、ヨーロッパ、アジア、アフリカに広まっていきました。
4世紀にローマ帝国の公認を得た教会たちは、キリストが神であることを否定したアリウス派などの異端に対し、正統を意味する「Orthodox」を冠し、Orthodox Church(正教会)と名乗り合って共通の信仰と伝統を保ちながら連帯してきました。これは現在でも「ギリシャ(における)正教会」、「ロシア(における)正教会」、「日本(における)正教会」というように、地域(主に国家)毎にまとまってそれぞれ活動しつつ、お互いに緩やかな連携を保つという形で続いています。
10世紀頃からイタリアのローマを中心とした西ヨーロッパの教会は他地域の正教会たちから離れていき、独自の教義を発展させてローマカトリックとなりました。プロテスタント諸派は16世紀にローマカトリックから分離して生まれてきました。
正教会たちは特に東ヨーロッパ・ロシアに発展していき、日本には幕末にロシアから伝えられました。1861年に函館のロシア領事館付司祭として赴任したニコライ・カサトキンは、キリスト教が解禁されると精力的に伝道を始め、特に東日本では正教会がカトリックやプロテスタントを圧倒していました。しかしその後、日露戦争やロシア革命による対露感情の悪化が正教会への誤解を生み、第二次世界大戦後もローマカトリックやプロテスタント諸派に比べ、正教会は伸び悩んできました。
それでも熱心な信徒たちによって信仰の灯火が守られてきたことも確かです。函館のハリストス正教会(函館復活聖堂)や東京御茶ノ水のニコライ堂(東京復活大聖堂)をはじめとした正教会の聖堂は日本各地に約60あり、信徒の心の拠所となっています。
近年は西欧的合理主義・個人主義への批判から、キリスト教本来のあり方を求めて正教会に辿り着く方が増えています。正教会と呼ばれる教会に属する信徒は、全世界に約3億人います。
この道東地区には3つの聖堂(会堂)があり、祈祷をおこなっています。
1 釧路市富士見の「聖神降臨聖堂」(釧路ハリストス正教会)
2 中標津町武佐の「生神女就寝会堂」(上武佐ハリストス正教会)
3 斜里町美咲の「生神女福音会堂」(斜里ハリストス正教会)
また、帯広での集会をはじめ、北見市、根室市などでも個人宅での集会を行っています。
聖堂は「奉神禮(ほうしんれい)」と呼ばれる教会共同体の祈祷を行う場所です。奉神禮は先導者によって進められ、予め定められた祈祷文を「口を一にして」歌い祈ることで「心を一に」合せます。奉神禮の中心は、ハリストスご自身がパンと葡萄酒として信徒に頒ち与えられる「聖體機密」です。それは私たちが神の子・家族として回復されることを示しています。兄弟姉妹は一人一人が自由意志を持つ独立した人格として尊重されつつ、家族として一である幸福を喜び楽しみます。
祈祷の目的はハリストスが「我等の一なるが如く、彼等の一と爲らん爲」と祈ったように、私たち一人一人が神及び全ての人々と一致していくことです。正教会は、天國(神の國)とはこの家族的一致そのものであると教えています。奉神禮とは天國を体験することです。天國とはどこか別世界のことではなく、お互いがお互いを自分自身のように愛する「神の家庭」のことなのです。
正教会では祈祷の言の殆どが歌われます。祈祷の言を歌うのは、1.記憶を容易にする爲、2.その祈祷に相応しい感情を喚起する爲、3.皆で揃って祈祷する爲とされます。高度な発声などの技術を必要とする高低差はあまり無く、誰でも歌うことができます。「誦經(しょうけい)」は非常にシンプルな独唱、「八調(Οκτωηχοσ)」は8種の定型メロディで、正教会聖歌の基本です。
何れも楽器は用いません。楽器の出す正しい音に各人が従うのではなく、周りの人の歌声をよく聞きながら全体が調和するように自分の声を出していきます。「一人一人が全体のことを慮りながら、自分も活かし、できることを行う」ことは聖歌のみならず、正教信徒の生き方そのものでもあります。
聖歌はできるだけ多くの人によって歌われることが望ましいとされます。私たちが心を一にして歌い祈ることは、それ自体が天國の象なのです。
イコンとは普通、平面に書かれた、神や天使、聖人の像を指します。イコンは装飾的な意味だけを持つものではなく、ハリストスの恩恵を主張するものです。あっても良いものというより「教会になくてはならぬもの」です。何故ならイコンはこの世の者ならぬ「神」がこの世に降り立ったことの証明だからであり、神と一致することによって人が聖なる者となることの証明だからです。ですからハリストスの降誕以前に神を像として書くことは冒涜とされていたのと同様、「降誕後に『イコンは偶像である』と主張するのは冒涜である」と正教会は主張してきました。
正教信徒はイコンの前にローソクを点し、香を焚き、接吻し、敬拝します。目は閉じず、イコンをしっかり見て祈ります。イコンは私たちに、神が降りてこられ再び升られた天と地の梯を提示しているのです。私たちは神さまに近づく爲にイコンに向かって歌い祈ります。その祈りは私たちが限定的な自分自身を超え、神さまと隣人への愛に滿ち溢れていく凱歌、勝利の行進曲なのです。
西欧的な「聖画」は遠近法が用いられますが、それに対して伝統的なイコンには逆遠近法(遠くのものを大きく描き、近くのものを小さく描く)が用いられます。それは「神の側・聖なるものの側から光が放たれるように、視線が向こうから私たちの方に向けられている」ことを表しています。西欧的「聖画」は私たちを向こうの世界に引き込むように感じさせます。イコンは「聖なるものが私たちの方に向かってきている」ことを教え、私たちは聖なるものに向かって近づいていく。神とこの世・私たちの出会い・交わりの場を表しているのがイコンなのです。
E-mail:kushiro@orthodoxjp.com
管轄司祭 ステファン内田圭一